寒風山回転展望台


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その石碑に歴史あり‥。 男鹿半島を見守る誓の御柱(ちかいのみはしら)

誓の御柱 寒風山を有名にしているのは眺望だけではありません。石材用の良質な岩石である通称「寒風石」(かんぷうせき 別名・男鹿石《おがいし》)の産出地としても知られています。

その寒風石で彫り上げられた記念碑が、寒風山の頂き近くにあります。その名は「誓の御柱」といいます。

どうして「誓の御柱」というのでしょう? それは日本史でおなじみの「五箇条の御誓文」が柱部分の各側面に1条づつ刻まれているからです。
誓の御柱は高さ約8mの総石造り。五角形の柱と台座
から成っており、間近に見たり触れたり出来ます。
 
展望台から見る誓の御柱  「五箇条の御誓文」とは明治維新の頃、当時の新政府がこれからの日本を海外からも認められる良い国にしていくために決めた5つの基本方針です。

 昭和5年(1930年)10月24日、現在回転展望台のある寒風山山頂に建立されました。当時の男鹿市民が地元の学生を中心に結成していた親睦団体「男鹿琴湖会」(おがきんこかい)が、その活動の記念事業として企画・実施しました。
展望台レストランから見た誓の御柱。展望台すぐ下の
大型無料駐車場の南西にあり、日本海に臨んで
建っています。

誓の御柱の近くを飛ぶパラグライダー その頃の日本は深刻な不況に陥っていました。加えて、首相の暗殺未遂などの不祥事や労働争議が多発し、社会不安が広がっていた世の中へ、「明治の頃の初心を思い出そう」との呼び掛けを込めて誓の御柱は建立されたといいます。

モデルになったのは、滋賀県の琵琶湖にある多景島(たけいじま)に現存している青銅製のモニュメントだそうです。多景島のモニュメントも建設理由は同じで、その完成は大正14年(1925年)とのことですが、寒風山の御柱もその名と造りを学んでいます。
好天と風に恵まれた日には、寒風山名物のパラグライダー
が誓の御柱の近くを飛んでいるのをしばしば見受けます。
 
夕日に染まる誓の御柱 昭和39年(1964年)、寒風山回転展望台の建設に伴って一段低い現在の位置に移されました。

平成22年(2010年)には男鹿琴湖会から男鹿市教育委員会へ寄付され、4年後の平成26年3月20日には男鹿市指定文化財に加えられました。


 このような歴史を経て、誓の御柱は男鹿の文化を象徴する記念碑として今も男鹿市民から大切にされています。
夕日に染まる誓の御柱。今日に至るまで寒風山の風雪に
耐え続けています。左奥は回転展望台。